ブログ一覧

生き返った地域猫

以前は、我が庵の庭を様々な野良猫たちが行き来していたのだが、一昨年の夏以降、突然ぱったりと全て居なくなって久しかったけれども、昨年の秋ごろ、ただ一匹かわいそうなほどの超不細工なネコがときどき姿をみせ、「キョンシー」とみんなに呼ばれて面白がられていたのだが、このネコも姿をみせなくなっていた。

ところが、今年に入って、数匹の子猫がウロチョロするのを庭で見かけるようになったのである。

どうやら地域ネコが復活したようだ。

以前のこの地域のネコたちの遺伝子がちゃんと残っていたらしく、毛の柄模様も以前のネコたちとよく似ているように思われる。こちらも何となく安堵に似た気分にもなる。

しかし不思議なことに親ネコを一度も見ない。だいたい親ネコにまとわりつきながらデビューしてくるものだけども。

そして、そのうちの一匹はまったく違う方向から塀を乗り越えてやってくる。どうやら兄弟ではないらしい。それ故にか、ちょっと他の子たちに遠慮している風もある。

それに、子猫というものはだいたいじゃれ合うものだが、この子猫たちはそういうそぶりもない。

ちょっと変だけれども、まあいい。

冬の静かな庭の蝋梅の花に時折り見かけるメジロなどの野鳥にくわえて、子猫たちがいるのをみるのも、また楽しい。

 

 

 

 

 

 

年によってはヒヨドリに花を食べられてしまう蠟梅。今年は長く咲いている。山に餌が豊富にあるのかも。

 

 

 

 

2020年02月15日

巡りくる晩秋

今年の秋は慌ただしく過ぎてしまった。

当初は自分自身の癒しの空間造りをしようと始めた我が庵であったはずが、だんだんとその時間はなくなってしまった。それが悪いというわけではないけれども、こうしてまた1年が過ぎて晩秋を迎えてしまうと、何故か過ぎた1年を思う。

サイトの更新すら時間がなくてできなかったなあ~

せめて、この秋の期間の画像だけでも載せておこう。

 

  (もみじ)

  (ドウダンツツジ)

  (キッチン窓から)

  (今年も積もった枯葉)

















2019年12月04日

ブサ猫

 

 わが庵辺りから猫たちが消え、町内でも見かけることすらなくなってしまい、何らかの原因で町の猫は絶滅したのかと思ってから久しかったが、最近は、ちらほらと見かけるようになったなあーと思っていた。

が、その矢先、わが庵の庭にも猫が現れた。

最近はタヌキは2・3度、庭の隅を知らん顔して通り過ぎて行くのをみかけたことはあるが、猫は久しくお目にかかっていなかったけども、窓ぎわからこちらをみている猫をみて、猫好きの僕でも思わず「ゲゲー!!」とのけぞってしまった。

世の中には、こんな不細工な猫もいるのか!!

猫好きというか動物好きなので、どんな猫でも可愛いと思っていたけれども、これはブサ可愛いとかいう部類にも入らないほど不細工で、まあ何とも不細工すぎる。

よく見ると、毛並みは悪くない。どうやって生きてきたのかね?ともおもう。

これでは餌をくれる人もいないだろうけど、と思ったり。

その面相で人間に生まれてこなくて良かったねとか思ったり。

何だか可哀想になって、結局餌をあげてしまった。

 

それが、数カ月前のことだったけど、数日前ふたたび現れたので、また餌をやってしまった。君も頑張れよ、と思ってしまって。

 

2019年10月02日

廃校での運動会

 

 

梅雨前の良く晴れた日(6/10)廃校となった三次市安田小学校でこの地区の運動会にいってみました。

青い空と緑の山々に囲まれたのどかな広いグランドで幼児からお年寄りまで地区の全員が参加なのでしょうか、和気あいあいの情景ですが、どこかやはり一抹の寂しさを感じてしまいました。

 

 

まだ新しい立派な校舎だったんですね。

こんな立派な学校をつくり、またすぐ廃校にするなんて、いったいこの国の行政はどうなっているのでしょうか?

昔はこの地区も、のどかな中にも活気もあり、にぎやかに子供たちも遊び学んでいたことでしょうが、学校が廃校となったり、いろいろな施設もなくなり、過疎はますます進んでいきます。

 

全国では4000以上の学校が廃校となっているようにも聞いています。

 

ここは音楽教室でしょうか。

子供たちの歌声が聞こえてくるような気がします。

 

2階への階段の途中に残してありました。

最後の記念に子供たちが自分自身を作成したのでしょうか。

せつなくなってきますね。

 

 

「母校の昔と今」と題して、教室の壁に貼ったまま残してありました。

でももう、すべてが昔しです。

歴史とは何なのでしょうか?

 


2019年06月15日

お金の話し

年の瀬となると、ついお金の話。

およそお金には縁遠い私だけど、昨年だったか今年のことだったかは、もう忘れてしまったけれども、お金を拾ったことがある。

 ちょうどその日は病院の定期受診日で、急いで向かう途中、郵便物を投函しようと立ち寄ったポストの前で筆箱のような物を拾った。

まあ、その中に持ち主を特定できるものでもあれば連絡してあげようと、軽い気持ちで拾ったのであるが、ふと気になって、車を運転しながら覗いてみると、チラッと1万円札が見えたので、びっくりして、104番でその地区の警察署の電話番号を聞き、すぐ電話したのである。

 私とすれば、交番に慌てて届け出ているかもしれない落とし主を、少しでも早く安心させてあげようと思ったのであるが、警察の担当官はのんびりと「病院の診察が終わってから何処の交番でもよいので届けておいてください」という。

なんだそんなものかと、ちょっと安心もしまたガッカリもした。

 届け出てみると、それは財布の一種(私はこういうものを持たないので)らしく、1万円札は1枚きりで、あと千円札が数枚と小銭少々。そして、健康保険証・クレジットカード・印鑑登録カードまであったが、お巡りさん二人一組で確認する決まりのようで、それらを机の上に10円1円もきれいに並べて、カード番号もいちいち確認記録していく。

私は届けてすぐ帰ろうとしたが、立ち会ってもらわねば困るといわれて立ち会ったのだが、最後に「持ち主からのお礼を希望しますか」と問われ、そういう気持ちで届けた訳ではないと断わり、確認の署名をして終わった。

 

だけども本題は、それではない。

私は、自分の気持ちが嬉しかったのである。

何のよこしまな気持ちも湧かず、ちゃんと届け出ることが出来たことがである。

 実は、もうはるか数十年昔のことであるが、電話ボックスの中で四つ折りに小さく折り畳んだ5千円札を拾ったことがあり、当時私はとても生活に困っており、ついついそのお金をネコババしてしまったのだ。

あんなに四つ折りに小さく綺麗に畳んでいたということは、財布にも入れず、その人にとっては何かのために大事にしまっておいた大切なお金だったのではなかろうかと、何十年も私の心の隅でうずいていたのである。

それが、この届け出で、帳消しにはならないまでも、幾分心が軽くなったように思えた。

そして、ネコババしようとも思わす、しなくて済んだ現在を有難く思い、感謝するのである。

それは神に対してか、ご先祖様に対してかわからないけれども、ともかく、邪な気持にならなくて済んだ現在があることを心から感謝したのだった。

 

それにしてもと、思い出すこともある。

父がまだ存命中で、田舎で一人暮らしで年金生活をしているとき、銀行から年金30万円をおろし自転車で帰宅途中で落とし、自宅に帰って気付いて呆然自失で玄関にへたり込んで動けなくなったらしい。

もちろん30万円のお金は返ってはこず、この後ボケも始まったようだ。

この父のお金をネコババした人は、今どういう気持ちでいるのかとも思う年の瀬である。

 

2018年12月30日

晩秋に想う

毎年のことながら晩秋になると、過ぎてしまったこの1年のことを想う。

ほとんどが、思い出すことすらできない無為な日々ばかりだったなあ~

少しだけ記憶に残ることもある。
心に残ることもある。
良いにつけ悪いにつけ。

いつの間にか、自分の人生は残り少ないんだ、と自分に言い聞かせる齢となってしまった。

数年前のことだが、自分より10歳以上年上のお年寄り?のある人(今はもう亡くなったけども)が、にわかに新しいことに楽しそうに挑戦しているのをみて、訳を聞くと「なあ~に、やけくそよね-!」とカラカラ笑ったのをよく思い出す。
すがすがしく聞こえた。
 若い人がやけくそと言えばよくないけども、最高齢と思える人が、やけくそと言いながら、楽しく新しいことを試みるのは実に素敵ではないか。

私も自称ドン・キホーテの心意気を再度思い起こし、新しいことに楽しく挑戦してみたいと思う。

 

(燮々庵の秋)



2018年11月30日

日影館高校の影絵

先月(10月)末ごろ、恩師佐々木久人先生の家屋が取り壊されているのを目にした。

取り壊されることは以前から耳にしており、何とか存続の手立てはないのかと内心気をもんでいたが、実際に目の当たりにして実に残念でもあり寂しい限りである。

 この吉舎町七日市通り地区では、昨年の啓文館さん 今年の寅見屋さんに続いて、今回の佐々木先生宅の取り壊しである。いずれも吉舎町の歴史を物語る貴重なものばかりである。

 

佐々木先生は昭和23年に日影館高校で影絵クラブを創設されたらしく、そうだとすると私が7歳のときである。

白黒テレビもないこの時代に、幻想的な美しい色彩造影の「マッチ売りの少女」「鶴の恩返し」など叙情豊かな作品を観てとても感動したのを懐かしく思い出す。

いかにも私学らしいクラブ活動でもあったし、この時代の吉舎町の文化でもあったと思う。

技術的にも高く評価され、県内各地で公演されたように記憶している。私が結婚して間もない頃、広島市でも公演があり、私も確か2度は足を運んだ覚えがある。大きな会場が満員で盛況だった。

 

その後、先生が退職されてからは、先生の自宅に「ザ・ばせん座」と名付けた芝居小屋をつくられて、劇を続けておられたようだが、平成12年に81歳で亡くなられたとのことである。

 

その芝居小屋だが、高校を卒業して間もない頃だったか、帰省した際に同級生たちと一度先生宅を訪ね、見せてもらったことがある。立派な舞台もあり広い桟敷もあり、よくも個人で造られたものだと驚いたものだった。

その時は、まだ若くてある意味幼稚だったので、ただ驚いただけで、それ以上のことは何も考えなかったように思う。その後長く故郷吉舎町と離れていたので、先生の他界も知らず、「ばせん座」のことも思い出すこともなかった。

 

そして今である。

ばせん座が無くなるのは勿体ない・あの人形や装置はどうなるのだろうかと、いろいろな人たちから話があっても、共に気をもむばかりであったが、つい数日前、高校の影絵クラブのOBの方たちが人形や幻灯機などの機械装置等一式を引き取り、先生の情熱を引き継ぎ、影絵の復活を目指すという話を聞いた。

大げさでなく、真実胸をなでおろす思いである。そして少なからず将来に期待したい。できれば高校のクラブの復活をと夢みるのは私だけだろうか。または新しい文化が起こりそれと融合しても楽しい~とも、ついつい夢みてしまう。

 

 

 

2018年11月04日

秋の収穫(ブドウ)

雑草をかき分けるようにして行ってみると、頑張ったブドウ君が収穫を待っていたように思えました。

店先に並んでいるブドウとは比較にならないまでも、いかにもブドウです。

雨に打たれたためか?はじけたようになってしまった粒もあるけど、ちゃんと黑や茶褐色に色づいていました。

持ち帰り食べてみると、野性的な味というのか、甘酸っぱく濃い味で、ひいき目に言わばコクがあるというべきか?な?

甘いだけの店頭ものと比べて、じつに味わい深い(-。-)y-゜゜゜

よし‼ 来年こそは、どっさりと収穫し、みなのものに食させてやるぞ!!

っと、現時点では大いに気分が盛り上がっております(^_^)v

 

2018年09月17日

ブドウ君 頑張ったね!

いつの間にか9月に入ってしまいましたが、実はお盆ごろブドウのその後を観察しました。

雑草をかき分けるようにして行ってみると、黒いダイヤにはほど遠いものの、一応ブドウであることを立派に示しておりましたよ。

 6月の発見時の意気込みに反してついつい横着をしてしまい、肥料もやらず、袋掛けはもちろんせず、雑草の中にほっとらかしにしたままでしたが、自然の生命力は偉いもので、いびつながらもちゃんと実が大きくなっていました。

6房ぐらいあって、それぞれの房の中の色づいた珠をつまんで採って、味見してみると、甘酸っぱくて、なんとか食べれるようでした。

ブドウ君!よく頑張って育ったね‼と、なんだか褒めてあげたいですね。

来年こそは、ちゃんと肥料もあげたりして育ててみようと思っています。です。

 

<8月お盆ごろの写真です>

 

2018年09月02日

猫のいとまごい

本当に悲しいというか、実に残念ななことですが、たむろしていた猫たちが全く姿を消したので、「ネコもいますよ」のページは閉鎖しました。

この春ごろは、以前からこの付近に住み着いていた利口なマミーと、昨年マミーから生まれた2匹のネコたちが、この付近のネコ住民であったところへ、更にマミーが3匹ぐらい子供を生んだようで、この先どうなるのかと気をもんでいたけども、夏前の頃、突然と云えるほどに全ていなくなりました。

どういうことでしょうか?

小さい子からだんだんいなくなって、マミーもいなくなり、縄張りを狙って出没していた数匹の外猫たちすらいなくなってしまった。

ところが、

不思議に思いながら2週間ぐらい過ぎたころだったか、突然マミーが現れた。今からひと月ぐらい前のことだったかと思う。

あまり部屋には上がってこない礼儀正しいネコだったけど、その日は、ひょいと庭から上がってきて、PCで遊んでいる僕の足にさかんに身体をこすりつけながらじゃれつくのだが、見ると、ひどく激瘦せしているので驚いたのだった。ついその前までよく太っていたはずだけど・・・・。

ひとしきりじゃれた後テーブルの下に寝そべっているのをみて、「そうだ!好物のウインナーでもあけようかな」と、台所に行き、もどってみると、もうその姿はなかった。

それが最後である。

どうもあれは、弱った体の最後の力を振り絞って「いとまごい」に来たに違いないと思う。

 

この辺りに猫の流行り病がまん延したのか。

想いいたくはないけれども、猫嫌いな誰かが、この辺り一帯に毒饅頭でもばら撒いたのかとも・・

神は地球を人のみに与えたわけではないはず・・と、やりきれない気持ちだ。

 

<猫たちの思い出画像>

 

マミー


 

2018年08月05日

今年もブドウが~(^O^)

昨年に続き今年もブドウが生りました!!

昨年は、たった一房生ったドウに7月に入って気付きましたが、今年は早くも6月で気付いております。

しかも7房もありますよ~(^_^)

でも、本当にブドウの実なのか❓ まだ仁丹粒ぐらいでからね、自信はないけども・・・やっぱ、ブドウと思うけども・・・

それに、はたしてあと一月で昨年のように大きく育つのかね?

それにしても昨年の実は期待たっぷり気分で食してみたけど、ひどい味だったなあ・・・

酸っぱかったなあ~(+o+)ピオーネなのに~

 

両サイドを杉の木で囲まれていたので、今年はその杉の木を伐って日当たりは良くしたつもりだから、美味しくなると期待もしてるんだけども、どうかね?

 

 

生来、計画性がない私なもんで、そもそも植える場所をよく考えずに植えてしまって失敗した。

杉の木と杉の木の間という日当たりの悪さもさることながら、ブドウの木が成長をしても、それを誘導してやる場所を考えもしなかった。

行き場のない可哀想なブドウちゃん、頑張ってね

 

 

昨年7月中旬のフドウの写真は下記です

 

2018年06月11日

シャクヤク&カエル君

 

 

 わが庵の庭の花の香は、甘い香りの沈丁花から、ふくよかな香りの牡丹へと移ろい、今は芍薬が主役です。そしてモミジの若葉やヤマボウシの花も咲き、心地良い初夏の風情です。
でも、反面この季節は、庭の木々がどんどん生い茂り、雑草も抜いても刈っても凄まじく生え茂ってしまい、うんざりする季節でもあるんですよね~(+o+)


うんざりの中にも遊び心が必要じゃね~と思って、素焼きのカエルを買ってきて置いてみました。
 うん、うん、なかなか楽しい気分になっています(^_^)自己満足っす!!!

 

  (カエル君 と 芍薬の花)

 

      (雑草の中に咲いた今年のヤマボウシ)

2018年05月16日

エノキの凄い巨木発見

吉舎町七日市通りの田原家の裏庭に、ものすごい榎の巨木があるのを発見しました。
発見といっても、何百年もそこに存在し、その辺りの人たちは知ってたわけですでけども・・・(^^;)


4月1日にNPOシェイクハンド吉舎の仲間と共にこの木を見て、その巨大さに、みんなで驚いたわけです。
そしてその翌週の8日に私(奥)とメンバーの田辺氏と二人で周囲を測ってみましたら、なんと4・7mぐらいありました。

ネットで調べてみると広島県で2番目か3番目かの巨大さのようです。
巨木指定は勿論のこと、天然記念物の指定も受けられるのではないかと思いますが、これまで、なぜ誰からも何もなされなかったのか不思議でなりません。
したがって、現在、その準備をしているところです。この木も吉舎町の宝ではないでしょうか。
町全体でこの巨木を大切に見守っていこうではありませんか。

 

 

 

2018年04月10日

寅見屋さんの戸袋

 

 

吉舎町の七日市通にある「寅見屋(呉服屋)」さんの建物が今年3月についに解体されました。

吉舎町のシンボル的な建物が、昨年の「啓文館(書店)」さんに次いでの解体です。

どちらも吉舎町の本通りと称された七日市通りにありましたが、残念なことに、もはや情緒あるレトロな町並みとは言えない通りになってしまいました。

 特にこの寅見屋さんには、写真のような粋を凝らした見事な細工の戸袋があり、戸袋にすらこれほどの粋を凝らした店の繁栄ぶりが偲ばれ、またこの町が如何に栄えていたかを物語る歴史的文化遺産だとおもっていました。

 寅見屋さん解体のニュースを聞いて、この戸袋だけは何とか吉舎町の宝として吉舎町の資料館に保存して貰えないかといろいろ働きかけをしましたが、時間的な余裕もなく不可能とのことを取り壊される寸前に知り、土壇場で急遽交渉の末、私がとりあえず貰い受けしました。

そのような経過で、現在はわが燮々庵の庭に粗末な屋根などで囲み仮置きしています。

なんとか各方面に働きかけをして、吉舎町みんなの財産として残す道を考えたいと思っているところです。

 

<下記のように燮々庵の庭に仮置き保管しました>

 

 
 建物解体時に下記の棟札が天井裏から見つかりました。
解体を請け負われた業者の社長さんも「これまで数百件解体したが、これ程のものは初めてだ」とのことです。
書き込まれた大工さんたちの人数だけみても、この建物建築が如何にたいそうなものであったかが覗えます。

(棟札の裏面)

 

 

 

昨年(平成29年夏)取り壊された「啓文館」

解体直前の「啓文館」    近所の人達と最後の写真
   
2018年03月15日

今年の快挙

 私の周りでの特筆すべき今年の出来事といえば、“NPOシェイクハンド吉舎”を通じての友である永山洋子さんの「日本百名山登頂達成」の快挙です。

 これは実に約20年かけての達成で、最後の帆尻岳(北海道)は悪天候などで3年がかりとなり、ようやく今年9月1日に登頂を果たし、ついに100名山完全登破を成し遂げられたものです。

人間というものは、76歳にして、楽しんでこのようなことが成し遂げられる人もいれば、70歳でもうすっかり老けこんで敬老会しか楽しみがないような人もおり、その差には考えさせられます。

気力体力とかよく言われますが、一番は「気持ちを若く持つ」ことではないでしょうか?

 この永山さんほどのことは出来ないにしても、普段の地域活動などは十分やれるはずです。若者は仕事でなかなか時間がとれませんが、高齢者といわれる人達は多くの方が仕事からは退いておられて時間はたっぷりあるはずですよね。「気分を若く持って」社会活動に参加されれば、過疎で衰退するばかりといわれる町も、みんなの力で少なくとも「素敵な過疎の町」には出来るのではないかと思う年の瀬です。

 

 人に喜んでもらえるようなことを無償で行うことは、やってみると、実に楽しくやりがいのあるものです。

という私自身も、これまで「他のことなど無関心・世間地域など無関係」の人生を送ってきましたが、ふとしたことから「利益目的ではなく、社会のためになると思う行動・活動を無償でする」ことをしてみて、ようやく自分自身の心の安らぎと言うか気持ちの充実とも思えるものを得たように感じています。

高齢者と思っている人達も「気持ちを若く持って」再び社会に出て「人のための活動」をすれば、気分も充実し心も安らぎ、きっと健康で若々しく過ごせると思いますが、如何でしょうか? 自分自身を高齢者と思っておられる方々は。

 

永山さんの100名山登破の中国新聞の記事を下記転載しました


<展示風景>
2017年12月30日

風鈴ウオッチ

9月になって、朝夕は急に涼しくなりました。

梅雨明けの季節から夏の間の吉舎町七日市通りを彩った「おもてなし風鈴」も、手じまいの頃が近づいてきましたが、この子供たちによる作品をウオッチした一部を載せてみました。

実際は、もっともっと素晴らしい作品がいっぱいあったのですが、わたしのスマホバッテリー切れで、紹介できないのが残念です。

また来年の夏も、道ゆく人たちに涼感を送ってくれますように(^^)/

 

2017年09月04日

なんと! ブドウが!!

 

汗だくでウイーンウイーン~と草刈り機で草刈りしていて、ふと気付きました。

「えっ??、ブドウ❓!!!」

「ピオーネだ~ぁ!!!

そうなんです(^^♪

思い出せば、一昨年ホームセンターで、ふと葡萄の苗木が目に留まり、衝動買いをしてしまったのです。

もしいっぱい実ったら嬉しいよなあ~と、想像が膨らんでしまって、いろいろある苗木の中から「栽培が難し」と書いてあるピオーネの苗木を買ってしまたのです。

どうせ買うなら美味しい方がいいよなあーって、想像だけが膨らんで買ったんですよね。

 

そして、いざ買って帰ってみると、植えるところが無くて、結局、両横に杉の木が生えてる日当たりの悪いこの場所に植えたんです。

「まあ、いいか、成るときは成るさ」と思い、肥料もやらず植えたんですよ。

 

それでも昨年は、その辺りの草刈りをするときには、チラッと横目で見たものだけど、実が成るどここか、全然成長もしていなかった・・・・

そして、そのうち殆ど忘れてしまってたんです。

 

それがどうですか! ただのひと房だけですけど、成ってるんですよね(^^♪

大感激です。将来に夢が膨らみますよね!

大事に育てた初めてのイチゴを、いざ食べようと思ったその日の朝、タヌキに食べられてしまった、と悔しがっていた友人の表情がふと頭をよぎりますけども・・・

 

 

 

 

 

 

2017年07月07日

吉舎町鳥瞰図


「鳥瞰図」は「ちょうかんず」と読むんだそうです。

学のない私は知りませんでした。いろいろ調べてやっと分かりました(^-^;

 ともあれ、吉舎町を簡略に現したとても有用な地図に出会いました。

分かりやすいですし、観るだけでも何となく楽しい地図ですよね。

 これから“NPOシェイクハンド吉舎”で無料貸自転車をやりたいと思っているので、その案内地図を作るのに大いに参考となりそうです。

でも、いざ作成となると、なかなか難しそうですね。

こういうものを業としている方もおられるのでしょうけど、教えてもらいたいものです。

どなたか先生をご存知ないでしょうかねー

2017年07月04日

人知れず咲く牡丹

 

 

燮々庵には牡丹の花が5~6株あって、4月の末頃から5月初旬に次々と咲きます。

牡丹は大輪で、香りも強く、ふくよかな超美人って感じですね。大好きな花です。

とても見ごたえがありますが、咲き始めるとあっという間に咲いて、数日で終ってしまいます。

 咲くころは、ちょうどゴールデンウイークでなので、不在のことが多くて、せっかくの美人も、誰に観られるでもなく人知れず咲き、そして散り終えてしまうことが殆どです。なにか可哀想ですね、人間でなくても。

2017年05月04日

沈丁花

道路から庵の庭に入るとき、とてもいい香りがして、ああ・・と、沈丁花に気付きました。

少し日陰になった所に植わっているからでしょうか、香りが漂ってくるまで気付きませんでした。

良い香りでは初冬の金木犀と両雄でしょうか。

季節々の花、季節々の香り、自然っていいですよね。

庭には、もうすぐ牡丹も咲きます。楽しみです。

 

2017年04月03日

感謝!感謝! です


NPOシェイクハンド吉舎で企画している「子供たちのおもてなし風鈴」の記事と写真を「ひろしまさとやま未来博2017」の広島県公式ガイドブック(夏編)に、載せるための締め切りが急に知らされてきましたので、慌てて風鈴の試作品1点を添えて写真を撮りました。

突然の呼びかけにもかかわらず、次々と呼びかけていただき、よくこれだけの人たちに集まって頂けたものだと、心やさしい吉舎町の人たちに感謝・感激です!!。

本当にありがとうございました。

 この「子供たちのおもてなし風鈴」の企画は、無地のガラス風鈴に地元の子供たちに自由に絵を描いてもらって、昭和レトロな風情の吉舎町本通りの家々の軒に、梅雨明けと共に吊るし、通りを行き交う人々に風鈴の涼感でおもてなしをしようとするものです。

この企画は「吉舎自治振興会」さんと提携して進めているものです。


2017年03月24日

NPO結成しました

 

「NPOシェイクハンド吉舎」を結成しました。

12月18日 有志が集まり、お酒もなく、ささやかに、そして爽やかに、忘年会をしました。

そしてこれが ”NPOシェイクハンド吉舎”の旗揚げともなりました。

 

「集縁和合」絆を大切にし、絆の輪を広げていきたいと思います。

”町おこし”のような大それたことは出来ないまでも、側面からの応援団ぐらいのことはやれるのではないでしょうか。

どなたでも自由参加できますので、ご連絡、お問い合わせください。大歓迎です。

 

(近々「「NPOシェイクハンド吉舎」の専用ページを作成の予定です)

 

 

2016年12月20日

庵も晩秋の彩り


わが燮々庵もいつの間にか晩秋の彩りに包まれてきました。

庭はどんどん落ち葉が積り、落ち葉の掃除もかなり面倒ですが、夕暮れのひと時は、晩秋の軟らかい入日の木漏れ日に赤い紅葉はえも言えぬ美しさを増して、しばしうっとりと見とれてしまう至福のひと時です。

 

ドウダンツツジも赤く色付きました。

 

 

やわらかい日差しが廊下にそそぎます。

 

2016年11月14日

5匹の子猫

koneko--4

 

 

野良猫のマミーが今年もまた子供を生みました。

 

次々と引き連れて、お披露目にやってきました。

 

 


合計5匹もいるんです。

普段どこで餌をもらっているのでしょうか?

 

まもなく冬が来るけど・・・

 

 

2016年10月19日

彼岸花の季節となりました

 

 秋のお彼岸の季節となりましたね。

小さい子供だった頃、祖母に連れられてお墓参りに行ったとき、見渡す限り彼岸花が咲いていて、祖母とこの花について会話したこと・・・その時の風景も話のやり取りも鮮明に思い出します。

この彼岸花の季節になると必ず思い出すとても懐かしい思い出です。

 

今では吉舎町辻の彼岸花の群生地が観光名所となっています。

見頃になると、三脚を設置してシャッターをきる写真愛好家や家族鵜連れなど、沢山の人達が訪れて秋を満喫されているようです。

三次方面にお墓参りされる方も、ドライブされる方も、是非立ち寄ってみてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年09月01日

自然の偉大さを再認識しました

 

 春の花から始まって12月撮影の花や実まで掲載が終わり、宇治木世紀子さんが撮影された”野山の花”の頁も、ほぼ完結に近づいたようです。

花の種類などに疎い私ですから、当初は「まあ50種ぐらいかなあー」と軽く考え想像していましたが、250種類を超えています。

初めからこれほどあると解っていれば、ちょっとたじろいたかもしれないですね~(;^ω^)
知らなかったから良かったです~

おかげで、とても充実したページになった! と喜んでいます (^_^)v

 

 野の花だけでもこれほど多種多様なんですね。

自然というものの多様性と、その偉大さに改めて畏敬の念を抱きました。

 

 また、華奢な細身の身体で、重い一眼レフを提げて山登りをして、よくもまあこれほど撮影されたものだと敬意を表します(宇治木さんは、高校時代のクラスメイトで、身体が弱くて体育の時間はいつも見学でしたけども・・・ねっ(*^^*))。

 この”野山の花”の頁は、貴重な資料でもあり、燮々庵HPの自慢の頁でもあり、宇治木さんに感謝する次第です。

 

(この撮影は、まだ露のある早朝の山登りでの撮影でしょうか? それとも夕立にあって雨後の撮影でしょうか?

自然界の静かな尊さ美しさが感じられと共に、撮影者の感性も感じられますね)

 

<余計な雑談>

山登りも花の撮影もど素人の私と、もう一人のど素人さんが、この愛好家の会の山登りに附いて登ったことがあります。

登る途中で、愛好家の人達は、よくもまあ、豆粒ほどの花を見つけては撮影するんですね。

それを見ていた私と、もう一人のど素人さんとの二人で「これは、道端に落ちている10円玉を見つけるより難しいなあー」と大笑いしたものですーー反省(;^ω^)

 

 

 

 

2016年08月19日

今年も”吉舎ふれあい祭り”に行ってきました

8月15日

昨年に続き今年も”吉舎ふれあい祭り”の花火を観に行ってきました。

夕暮れて日が落ちると、嘘のように涼しくなっています。

他所の花火大会と大きく違うのは、川面に浮かぶ色とりどりの灯籠との絶妙のコラボでしょうか。

とても情緒があり、一層の涼も誘いますね。

そして、夜店・屋台なども沢山出ていて、大賑わいです。

姉妹夫婦や、姪の家族なども一緒に観に行き、今年も大満足でした(^O^)/

 

(すっかり準備が整った会場。灯籠作りなど関係者の皆様の大変な努力に頭が下がります)

 


 

2016年08月17日

トラチと昼寝


 

8月11日

庭の草刈りに疲れてソファーで昼寝をしていて、ふと目覚めるとトラチがいつの間にかこんな状態で一緒に寝てました。

おかしいやら可愛いやら・・

胸に顔をうずめて・・・と言っても、これはネコでしかもオスですからね! ^_^;

何とも面白いノラ猫です。


2016年08月13日

ペーパーホルダー

 

 

「ナイスなお店など」のページで紹介している”NICETIME?”さんに作ってもらったペーパーホールダーです。

好みの図柄で作成してもらえます。ロール紙の回転に多少難はありますが、かなり気に入っています。

ちょっと癒されますね(^-^)

打ち抜き可能な図柄なら何でもやってもらえますよ。

 

 

2016年08月07日

吉舎ふれあい祭りがやってきます

 


毎年8月15日は、吉舎町の最大イベント「吉舎ふれあい祭り」がおこなわれています。

 この日ばかりは近隣の市町村から、浴衣がけやカラフルな装いの大勢の若者が集まり、ここは軽井沢かと見迷うほどです。

山間の町吉舎町は夜ともなると気温も快適で、町の中央を流れる馬洗川に色とりどりの灯籠を浮かべて、とてもロマンチックな風情です。

 

 

やがて、盛大に花火が間近で次々と上がり、花火、灯籠、観客が一体となったイベントです。

近くの広場では夏の夜市も開かれ、大勢の人たちで賑わっていて、みな夏の一夜を堪能して帰られるようです。

 そういう私も、昨年初めて行ってみたのですが、これほど素晴らしいとは想像していませんでした。

まだ観に来られたことのない人には、遠くても来て観る価値はありますね。是非ともお奨め致します。

2016年07月27日

暑中お見舞い申し上げます

 

庵にはエアコンもありませんが、風通しもよく、夏らしく過ごしています。

皆様もお元気でお過ごしください。

夏は、やっぱりネコが似合いますね~

2016年07月25日

招き猫

 

 

7月23日

吉舎町の「ナイスなお店など紹介」のページでの紹介のために、参彩堂さんを訪ねました。美味しそうなケーキやクッキーが並んだ先に 可愛い招きネコの置物がいっぱい!心がふと和みますね。


帰り際に、また発見! 入り口に、ちゃんと招き猫あり。商売繁盛しますように!(^^)!

 

 

 

2016年07月23日

人それぞれ

 

 

日本人は一般的にいうと自己を表面に出さない人が多いですが、わが庵に来られた方のネコに対する反応を観ていると、その人のアイデンティティの一部が如実に表れて実に面白いと思います。

ある人は庭にいるマミーやトラチを見て「まあー可愛い! おいでおいで~」とか言ったり、テーブルのお菓子を与えようとしたりする人もいます。また、じっと微笑んで猫たちと目で会話しているような人もいます。

その反対に「あ、猫だ、しっしーっ!!」と餌でも貰えるのかと上がってこようとする猫たちを勝手に追っ払う人もあったりして、面白いですよね。こうもその人たちのアイデンティティが発揮されるのは。

ネコたちも面食らってることでしょうけども。
ところで、このように「しっしっ!」と追っ払うような人たちは、子供の頃から猫嫌いだったのでしょうか? おそらくそうではなかろうと思うのです。

分別ある中年以上の人に猫嫌いが多いところをみると、その人たちの歩んできた長い人生経験からそのように変質してしまったのでしょうね、きっと。どのような人生を経験してこられたのか、堅苦しい人生だったのでしょうか? ちょっと気の毒にも思うのですが。

 

 

 

2016年07月04日

窓辺に置いてきた花たち


今日は燮々庵に行けませんでした。

窓辺に置いてきた花たちが心配です。

 と、いうのは、いつも庵から引き上げるときに、室内や玄関などに置いてあった花の鉢(ほとんどが75円程度のものですが)を、日当たりの良い窓辺に並べてかえるのです。

 水が切れないように、レトルト食品のトレーに水を張って、その中に花の鉢を置くのですが、だいたいこれまでは可憐にも枯れずに花を咲かせていて、生きているのを見るのは嬉しいものでしたが、今は気温も高いし次回までは日にちも空くのでおそらくダメでしょうね~(*_*;

いくら安い花たちでも可哀想ですよね。

何か良い方法はないものでしょうか?

もし、こういうことに詳しい方がおられましたら対策など教えて頂ければと思っています。

2016年06月25日

子猫A

 

スマホの不要な画像を捨てようとする度に、この画像で手が止まりしばし見入ってしまい、何とも切なくなるのです。見ると切なくなるので捨てたいのですが、どうしても捨てることが出来ないのです。

この子猫に逢ったのは一昨年(平成26年)落ち葉の舞い散る11月の終わりの北風の強い寒い日だったように思います。                                          廃屋になりかけた実家(現在の私の庵ですが)を補修したりして、手仕舞いをしてさて帰ろうとしたとき、ふと窓の外をみると、この小さな子猫がいたのです。じっとみじろきもしないでこちらを見上げているのです。

 思わずスマホに撮り、何か食べのもはないかと探しましたが何もありませんでした(それまで野良猫に食べ物を与えたこともなかったのですが)。そして再び窓の外に目をやると、もう姿はありませんでした。

ただそれだけのことでした。これ以降二度と見たこともありません

でも僕は、見た一瞬この子の心を感じてしまったように思うのです。単なる感傷かも知れませんけども。そして、この画像を見るたびに益々そう思ってしまうのです。                   それは、よく外国映画で、貧しい境遇の子が店のショーウインドウをじっと見入ってる姿にも似て、又はマッチ売りの少女がマッチの炎の中に楽しい世界をみている姿にも似て、または子供の頃夕日が当たってる遥か遠いあの地に幸せがあるような気がしてじっと眺めていた自分の姿とも似ているとでもいうのでしょうか。そのように思えてならないのです。

おそらく、この子猫はその冬を越すことはできなかったでしょう。                 つかの間母親に甘えたことはあったでしょうが、それ以外に少しでも楽しいことはあったのでしょうか? 十分にお腹を満たしたことはあったのでしょうか。

ただ言えることは、ほんのわずかな一生だったのでしょうが、悲しくも一生懸命生きたことでしょう。

この世に一時的にでも存在しことを今でも覚えているのは、たぶんこうして写真に撮った僕だけだと思います。だから、どうしても捨てきれないのです。

いい齢をした大の男が、ちょと恥ずかしい話ですけども・・・。

2016年06月20日

猫を許容する文化 吉舎町は?

 

5月の連休に尾道に行ってきました。 とても良い天気に恵まれ気持ちの良い一日でした。

 

猫の小道付近で、とある休業中のCafeの庭先にじっと佇むネコちゃんがいて、あまりにじっとしているので気になりました。声をかけてみても柵の間から手を差し延べて目先で振ってみてもビクリともしません。このCafeのネコなのでしょうか。毛並みもよくふっくらして可愛いネコですが、どうも目が見えないみたいでした。それともご主人がいなくなって淋しくてショック状態なのかなあ―?と思たりして・・・。心をそこに残しながらも行き過ぎましたが・・・。

尾道という所は、このような猫でも生きていける土地柄なのでしょうね。地域としてネコを許容する文化が育っているのでしょう。

 私の〝燮々庵”がある吉舎町でもよくネコを見かけますが、人が近寄っても逃げないネコはあまり居ないような気がします。吉舎町は猫好きな人も多いようなのでネコも多いのだと思いますが、地域全体としてネコを許容する文化は育っていないのでしょう。

 世の中、近頃はネコ好きの若い人たちが多くて、尾道までわざわざ見に出かける人たちもいるようですね。

テレビでもいつぞや何処かの島の小さな漁港に多くのネコたちがいるのを取材してる番組をみたことがありますが、いつか吉舎町もそのように若者たちがわざわざネコに逢いにくるような大らかな町、ネコ町にならないものかと密かに期待しています。

 

2016年05月10日