お金の話し

年の瀬となると、ついお金の話。

およそお金には縁遠い私だけど、昨年だったか今年のことだったかは、もう忘れてしまったけれども、お金を拾ったことがある。

 ちょうどその日は病院の定期受診日で、急いで向かう途中、郵便物を投函しようと立ち寄ったポストの前で筆箱のような物を拾った。

まあ、その中に持ち主を特定できるものでもあれば連絡してあげようと、軽い気持ちで拾ったのであるが、ふと気になって、車を運転しながら覗いてみると、チラッと1万円札が見えたので、びっくりして、104番でその地区の警察署の電話番号を聞き、すぐ電話したのである。

 私とすれば、交番に慌てて届け出ているかもしれない落とし主を、少しでも早く安心させてあげようと思ったのであるが、警察の担当官はのんびりと「病院の診察が終わってから何処の交番でもよいので届けておいてください」という。

なんだそんなものかと、ちょっと安心もしまたガッカリもした。

 届け出てみると、それは財布の一種(私はこういうものを持たないので)らしく、1万円札は1枚きりで、あと千円札が数枚と小銭少々。そして、健康保険証・クレジットカード・印鑑登録カードまであったが、お巡りさん二人一組で確認する決まりのようで、それらを机の上に10円1円もきれいに並べて、カード番号もいちいち確認記録していく。

私は届けてすぐ帰ろうとしたが、立ち会ってもらわねば困るといわれて立ち会ったのだが、最後に「持ち主からのお礼を希望しますか」と問われ、そういう気持ちで届けた訳ではないと断わり、確認の署名をして終わった。

 

だけども本題は、それではない。

私は、自分の気持ちが嬉しかったのである。

何のよこしまな気持ちも湧かず、ちゃんと届け出ることが出来たことがである。

 実は、もうはるか数十年昔のことであるが、電話ボックスの中で四つ折りに小さく折り畳んだ5千円札を拾ったことがあり、当時私はとても生活に困っており、ついついそのお金をネコババしてしまったのだ。

あんなに四つ折りに小さく綺麗に畳んでいたということは、財布にも入れず、その人にとっては何かのために大事にしまっておいた大切なお金だったのではなかろうかと、何十年も私の心の隅でうずいていたのである。

それが、この届け出で、帳消しにはならないまでも、幾分心が軽くなったように思えた。

そして、ネコババしようとも思わす、しなくて済んだ現在を有難く思い、感謝するのである。

それは神に対してか、ご先祖様に対してかわからないけれども、ともかく、邪な気持にならなくて済んだ現在があることを心から感謝したのだった。

 

それにしてもと、思い出すこともある。

父がまだ存命中で、田舎で一人暮らしで年金生活をしているとき、銀行から年金30万円をおろし自転車で帰宅途中で落とし、自宅に帰って気付いて呆然自失で玄関にへたり込んで動けなくなったらしい。

もちろん30万円のお金は返ってはこず、この後ボケも始まったようだ。

この父のお金をネコババした人は、今どういう気持ちでいるのかとも思う年の瀬である。

 

2018年12月30日