子猫A

 

スマホの不要な画像を捨てようとする度に、この画像で手が止まりしばし見入ってしまい、何とも切なくなるのです。見ると切なくなるので捨てたいのですが、どうしても捨てることが出来ないのです。

この子猫に逢ったのは一昨年(平成26年)落ち葉の舞い散る11月の終わりの北風の強い寒い日だったように思います。                                          廃屋になりかけた実家(現在の私の庵ですが)を補修したりして、手仕舞いをしてさて帰ろうとしたとき、ふと窓の外をみると、この小さな子猫がいたのです。じっとみじろきもしないでこちらを見上げているのです。

 思わずスマホに撮り、何か食べのもはないかと探しましたが何もありませんでした(それまで野良猫に食べ物を与えたこともなかったのですが)。そして再び窓の外に目をやると、もう姿はありませんでした。

ただそれだけのことでした。これ以降二度と見たこともありません

でも僕は、見た一瞬この子の心を感じてしまったように思うのです。単なる感傷かも知れませんけども。そして、この画像を見るたびに益々そう思ってしまうのです。                   それは、よく外国映画で、貧しい境遇の子が店のショーウインドウをじっと見入ってる姿にも似て、又はマッチ売りの少女がマッチの炎の中に楽しい世界をみている姿にも似て、または子供の頃夕日が当たってる遥か遠いあの地に幸せがあるような気がしてじっと眺めていた自分の姿とも似ているとでもいうのでしょうか。そのように思えてならないのです。

おそらく、この子猫はその冬を越すことはできなかったでしょう。                 つかの間母親に甘えたことはあったでしょうが、それ以外に少しでも楽しいことはあったのでしょうか? 十分にお腹を満たしたことはあったのでしょうか。

ただ言えることは、ほんのわずかな一生だったのでしょうが、悲しくも一生懸命生きたことでしょう。

この世に一時的にでも存在しことを今でも覚えているのは、たぶんこうして写真に撮った僕だけだと思います。だから、どうしても捨てきれないのです。

いい齢をした大の男が、ちょと恥ずかしい話ですけども・・・。

2016年06月20日