日影館高校の影絵

先月(10月)末ごろ、恩師佐々木久人先生の家屋が取り壊されているのを目にした。

取り壊されることは以前から耳にしており、何とか存続の手立てはないのかと内心気をもんでいたが、実際に目の当たりにして実に残念でもあり寂しい限りである。

 この吉舎町七日市通り地区では、昨年の啓文館さん 今年の寅見屋さんに続いて、今回の佐々木先生宅の取り壊しである。いずれも吉舎町の歴史を物語る貴重なものばかりである。

 

佐々木先生は昭和23年に日影館高校で影絵クラブを創設されたらしく、そうだとすると私が7歳のときである。

白黒テレビもないこの時代に、幻想的な美しい色彩造影の「マッチ売りの少女」「鶴の恩返し」など叙情豊かな作品を観てとても感動したのを懐かしく思い出す。

いかにも私学らしいクラブ活動でもあったし、この時代の吉舎町の文化でもあったと思う。

技術的にも高く評価され、県内各地で公演されたように記憶している。私が結婚して間もない頃、広島市でも公演があり、私も確か2度は足を運んだ覚えがある。大きな会場が満員で盛況だった。

 

その後、先生が退職されてからは、先生の自宅に「ザ・ばせん座」と名付けた芝居小屋をつくられて、劇を続けておられたようだが、平成12年に81歳で亡くなられたとのことである。

 

その芝居小屋だが、高校を卒業して間もない頃だったか、帰省した際に同級生たちと一度先生宅を訪ね、見せてもらったことがある。立派な舞台もあり広い桟敷もあり、よくも個人で造られたものだと驚いたものだった。

その時は、まだ若くてある意味幼稚だったので、ただ驚いただけで、それ以上のことは何も考えなかったように思う。その後長く故郷吉舎町と離れていたので、先生の他界も知らず、「ばせん座」のことも思い出すこともなかった。

 

そして今である。

ばせん座が無くなるのは勿体ない・あの人形や装置はどうなるのだろうかと、いろいろな人たちから話があっても、共に気をもむばかりであったが、つい数日前、高校の影絵クラブのOBの方たちが人形や幻灯機などの機械装置等一式を引き取り、先生の情熱を引き継ぎ、影絵の復活を目指すという話を聞いた。

大げさでなく、真実胸をなでおろす思いである。そして少なからず将来に期待したい。できれば高校のクラブの復活をと夢みるのは私だけだろうか。または新しい文化が起こりそれと融合しても楽しい~とも、ついつい夢みてしまう。

 

 

 

2018年11月04日